こんにちは!ひろ@マレーシア駐夫です。
初投稿です!本稿では、私がどのような経緯で駐夫になるに至ったかを記したいと思います。ご参考になれば幸いです!
こうして私は”駐夫”になった(プロローグ)
それは突然に
約一年前。私は妻と当時遠距離恋愛(婚約中)で、私は関西、妻は関東に勤務。
仕事帰りに、妻から突然の電話が。
ひろ妻
ひろ
ひろ妻
実はこの話は、前々から聞いていました。
妻は外資系の企業に勤めており、グローバル企業の戦略として、海外ブランチとのパイプを強化するためや、キャリアアップのために若手を送り込むという制度は良くある話です。
妻は本件に関して、一度は海外で働いてみたい!という想いが強く、上司にもの凄い勢いでアピールしていたそうです。
ですが、本格的な駐在員と言うよりも、経験的な意味合いが強いため、あっても半年~1年程度と言われていました。まぁ…そのくらいだったら、日本で待とうかなと当時は考えていました。
ひろ
ところが、電話越しの妻の声色は明らかに戸惑いを隠しきれていません。
ひろ妻
ひろ
補足しましょう。
私達は、付き合い始めた時から遠距離恋愛で、その期間約3年。
プロポーズして、これからやっと一緒に住める!と思っていた矢先のことでした。
私の脳内は走馬灯が巡ったかのようにありとあらゆる可能性をシミュレーションし、交錯していました。
現実世界で5秒ほどが経過した時でしょうか、私は次の言葉を口にしました。
ひろ
決心の理由
簡単に言うと、上記シミュレーションの結果、ついていかないことは無理!と判断しました。
理由は以下2つ。
- 女性が海外で働くというキャリアチャンスをパートナーとして応援したい。
- 5年離れるのは流石に寂しいっす( ;∀;)
誤解を恐れずに言うと、まだまだ日本の女性のキャリアパスやそのチャンスは、男性と同等とは言い難いと思います。「チャンスの神様は前髪しかない」とは良く言いますが、妻にとってのそれは今だ!とパートナーとして直感しました。
ちなみに気になったので、チャンスの神様を調べてみました。どうやらカイロスというようです。
カイロス(古希: Καιρός, ラテン文字転写:Kairos, ラテン語形:Caerus)は、ギリシア語で「機会(チャンス)」を意味する καιρός を神格化した男性神である。元は「刻む」という意味の動詞に由来しているという。キオスの悲劇作家イオーンによれば、ゼウスの末子とされている。
カイロスの風貌の特徴として、頭髪が挙げられる。後代での彼の彫像は、前髪は長いが後頭部が禿げた美少年として表されており、「チャンスの神は前髪しかない」とは「好機はすぐに捉えなければ後から捉えることは出来ない」という意味だが、この諺はこの神に由来するものであると思われる。また、両足には翼が付いているとも言われている。オリュンピアにはカイロスの祭壇があった。
出典:Wikipedia
こうして、私達夫婦のマレーシア生活が(無事?)決定。私はめでたく”駐夫”候補生となります。
しかし、この後来る嵐のような日々は、気分上々の当時の彼らには知る由もありませんでした。
こうして私は”駐夫”になった(序章)
さて、本当に大変なのはここからでした。
“駐夫”という選択をしたために、事後的に発生した苦労について纏めます。
圧倒的ドタバタ劇@職場
完全に見切り発車でマレーシア行きを決めた私。先ず、会社に戻って上司に直ぐに報告しました。
「妻の海外赴任についていくことにしたので、休職したいです。」
弊社には、「配偶者同行休職制度」という制度があり、配偶者の海外駐在へ帯同するため、配偶者の雇用ビザの期限まで(MAX3年)休職することができるとは知っていました。というのも、あるとすれば、私の海外駐在だと思っていたので、下調べしていたのです(笑)
ここから数ヶ月で現在の仕事の引き継ぎをしなければならないと考えると、正直しんどかったです。
私は新規事業に在籍しており、ただでさえ人手不足の状況でした。私は黎明期からのメンバーだったので、私が作った仕組みが多く、この標準化が本当にできるのか?という不安と焦燥感に苛まれました。
しかし、人間覚悟が決まれば、できないことは殆どない!と思い、自分なしでも回る仕組みを徹底的に追求しました。
私はこの期間、会社以上に「働き方改革」をした自負があります(笑)
細かい部分やマレーシア行きの書類処理の件はまた別記事で書きますが、無事にすべての仕事を引き継ぐことができました。
“駐夫”という選択
日本において駐夫が中々増えない背景として、帰国後のキャリアのリスクが非常に高い(ように思われる)ことが、一つの要因だと考えています。
私もかなり悩みましたが、長期的な視点で見たときに、人にはできない経験ができる!と楽観的に捉えることができました。
マレーシアへ行くという事実を軸に、滞在中に何をして、帰ってくるときまでにはどういった成長ができるか?を考えるほうが、大変だけど楽しい!と思えたからです。
何より、「2人でなら、どんな道でも楽しく暮らしていけるよね」という結論に至りました。
妻の駐在期間が2年ということもあり、遅れてついていく私は、現在勤務している会社を退職して現地で働くことは、あまり現実的ではないと考えました。
よって、現地での金銭面は妻に甘えることにして、私は家事などの妻のサポートと、日本で働いていた時には中々時間がなくて検討できなかった翌年度の国家資格の受験を目指すことにしました。このあたりは、また別稿で書きます。
そして今日も勉強に励む毎日です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!